日記2 (〜初入院まで ・・・ 平成12年11月下旬〜平成13年2月)

日付 白血球数

日記 

 平成12年
11月28日
6,300 今日は2週間ぶりに病院だ。
白血球数は、2週間で一気に正常値に戻った。2、3ヶ月かけて白血球数を減らす予定だったが・・・・自分は薬が良く効く体質なのだろうか?
この調子で、薬が何でも良く効く体質なら良いな。
白血球数が下がったので、急きょHLA検査をする事になった。結果は3週間後。
 12月9日   京都で開かれる造血移植総会の公開シンポジウムに夫婦で参加。
せっかく京都に行くんだから、観光を兼ねようということで、銀閣寺へ行って、湯どうふを食べた。豆腐ごとき美味いわけないと思っていたが、これが結構美味かった。
自分も妻も、出身は千葉なので、京都見物のいい機会となった。

 その後、最近仲間に入れていただいたばかりのルークトーク(白血病等の血液疾患の患者、家族、お医者さんが参加してるML)のオフ会に参加させていただいた。
ルークトークの存在は、白血病について情報収集していたときに、ある患者さんのHPで知った。送信されてくるメールを読む事で、自分と似たような境遇の方が結構いることを知った。もっと大変な思いをされている方がたくさんいる。これぐらいで落ち込んでいてはいけないのだ。

12月10日  6,600 フェスティバルホール(中ノ島)でキーロフバレエのくるみ割り人形を見に行った。
小学生のころ、掃除の時に流れる音楽が、くるみ割り人形で、いつのまにか気に入ってよくレコードを聞いていたいたので、興味がないわけではなかった。
題名のくるみ割人形ってのがどんな人形なのか今日はじめて知った。
 12月19日   3週間ぶりの通院。
今日、自分のHLAが判明。HLAの組み合わせには、数万通りあるらしい。もしかしたら何処かにいる自分と同じHLAの持ち主は、先祖が同じということなのだろうか?勉強したら面白そう。
骨髄バンクのホームページでHLA照合サービスというのがあったから、検索してみた。
詳しい事は判らないけど、とりあえず、202人の方と一致していたが・・・。やけに多いな。やり方間違ったのかもしれん。
12月20日 今日は会社の忘年会。というか、仕事関係で、大量の殻つき牡蠣を頂いたので、バーベキュー。
飲みすぎた。しかも、食中りのような症状で上から下から排出されるので、便所(洋式)でクルクル回っていた。人には到底見せられない姿。
12月21日 昨日の酒が残っていてふらふら。久しぶりに二日酔い。腹下して昨日はよく寝れなかった。
お昼前に、兄から電話があった。兄のHLAが判ったとのこと。検査報告書のFAXをもらったが、3座不一致だった。合う確率は25%だもんね。残念だけど、こりゃだめだ・・・。
でも、検査受けてくれてありがとう。
まだ、インターフェロンも、バンクにお世話になれる可能性も、新薬への期待もあるし。ポジティブに考えよう。
新薬が首尾良く認可されて、移植しなくても完治したりすることもあるかもしれん。
12月28日 今日の午後から年明け3日まで、会社は休み。
で、日本橋(大阪です)へ、めがね型のテレビを買いに行った。
ちょっと前に携帯用DVDデッキを買ったので、これに繋げば、入院したときに病院で映画が見られる。
でも、傍から見ていると結構間抜けです。
12月29日 5時起きで関空から上海へ。目的は美味しいものを食べること。帰国は年明け2日。
もうちょっと暖かいかと思ったら、大阪より寒い。
12月31日 20世紀最後の日の入を上海の高層ビル(ハイアットリージェンシー)から眺めた。海外での年越しは初めてだが、気分的に日本と変わらんな。
1月2日 夕方帰国。1時間遅れぐらいで関空に到着。
年明け早々、風邪を引いたらしく、寒気がする。去年の年明けのときと一緒だ。
昨日の夜から調子が悪く、多分、乾燥したホテルの空気と、街中の排ガス&ホコリのせいだろう。
1月3日 寝正月。実は去年もそう。 熱は最高で38.5℃くらい。眼鏡型テレビでDVDを2本見たら、流石に目が疲れた。
1月4日 熱が下がらず、会社を休んだ。ハイドレア飲んでるから、風邪薬を飲んでいいのか分からない。ただ、寝るのみ。
1月5日 全快ではないが、熱が下がったから会社へ。
まだ休んでいる人が多く、閑散としていた。今日は勝手にリハビリdayということにしてしまおう。
1月9日 5,600 今日は通院日。_
体調はすこぶる良好。本当に病気か疑いたくなる。
病院は現在改装中で、血液内科は2階から3階へ移動しエスカレータができてた。デパートみたい。
年明け初の診療日のせいか、大混雑で、看護婦さんはどの人も忙しそう。
ピリピリしていても不思議ではないが、ここの看護婦さんは、いつもニコニコしていて頭が下がります。

兄とのHLAが合わなかったので、治療方針はインターフェロンということだが、自己注射のマスターと、初期の副作用対策のため、しばらく入院しなければならないらしい。しかし、病室が満床のため、2、3週間待ってくれとのこと。そうだよな、大した病気じゃないんだよな。

1月30日 2,800 3週間待ったが、結局連絡なしで、今日は定期の通院日。生殺し状態は落ち着かない。早くやることやっていただきたいものである。採血の結果、白血球数は2800で下限値(4000)を大きく下回っていた。ま、体調は完璧だが・・・。
やっぱり、血液の病棟は満床とのことだが、後2,3日後には空くだろうとのこと。信じていいのかしら。
2月5日 今日から鳥羽へ出張。
入院に関する連絡はまだない。そば屋の出前みたいだと思っていたら、家の留守電にベットが空いた旨の連絡が入っていた。8日から入れるとのこと。
2月7日 出張先から一足早く帰らせてもらって、入院goodsの再確認。(殆ど妻がやっておいてくれた)
忘れずにノートPC、携帯用DVD、眼鏡型テレビの用意をした。これと本があれば暇つぶしはOKか。
さあ、明日から入院だ。

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