◆日記11 (平成17年1月2日〜)

日付 白血球数 日記
2005年1月2〜5日   車乗れないかもしれなかったから(まだ乗れる)、JRのシュプール号を予約して妙高へスキーの旅に出発。シュプール号に乗るのは、17、8年ぶりだと思う。2日夜10時半大阪発で、翌3日7時半ごろ妙高高原駅に到着。上中下3段の上中段で家族3人が寝る。すごい貧乏ったらしいかんじだが、個人的にはこういうの好きかも。
1月6日 4000 通院日。特筆することなし。来月マルクとのこと。
1月8日  新聞広告にFTTHの宣伝がでてた。安いと書いてあるので、現状と比較計算してみたら、今のADSL+NTT電話より、ホントに安いみたい。即申し込み。同じようなことを考えている人は多いようで、開通には2ヶ月以上かかる見込み。
1月30日  家のデスクトップPCがヘン。通常0.7M程度の通信速度が0.01M程度。ネットはおろかメール送受信さえもまともにできない。ウィルススキャンと、スパイウェアの掃除をしてみたが、お手上げ状態。ノートPCからは問題ないので、デスクトップPC自体の問題っぽいな。
2月3日 5100  会社を休み、マルクしに病院へ。
 予約は12時。診察がかなり混みあっていて、自分の番は1時半過ぎだった。すべての診察が終了後、2時半ごろからマルク。止血(処置後に30分間仰向けで過ごす)時の暇つぶし材料を探しに病院の売店へ。雑誌(DIME)を購入。新し物好きの自分としては、購買意欲をそそる雑誌は好み。
 で、レジの店員(自分ぐらいのおばさん)とのやり取り。店員に雑誌を渡すと...
 店員:「温めますか?」
 自分:「はっ??」
 店員:「あっ、袋入れましょうか?」(まじめな顔で、何とか誤魔化そうとしている)
 自分:「今の、結構面白かったっすよ」
 店員:突然げらげら笑いながら、「お昼時でねっ、さっきまでお弁当買う人で一杯だったのよ〜」
 いやなことをやる前に少しだけ楽しい思いができた。

 満員の処置室で自分のとなりに先客がひとり。
 最近はこの儀式にも慣れてきたが、となりのやり取りを聞いていると手が汗ばむ。しっかり麻酔するからそんなにびびる必要もないでもないのだが、針を骨に刺している行為自体、考えるとゾッとするのと、振動が伝わる感覚がなんともいやなんだよな〜。
2月10日

 

会社を休んで免許センターへ。免停の「意見の聴取」というやつ。ようするにいいわけする場である。結局、減免されることなく本日から免停90日。だったら何のために行ったのかわからない。かなり腹立たしい。GWも車に乗れないな。2日間の講習(約2.8万円)の受講で45日になるが、どうするか考え中。
2月11日 パソコンの調子が全然直らないので、OSから入れなおすことにした。1日がかり。しかし、通信速度は改善せず。LANボードを新品に取り替えたら大分改善したが、まだ速度の波がある。ケーブルあたりの問題か??
2月14日 やはり、ケーブルの問題だった。ふすまに這わせたところが今にも断線しそうになってた。ケーブル交換で、問題解決。
3月1日 今日から、家の電話とネット回線がケイオプティコムに。FTTHで100Mbpsを期待したが、20Mちょっと程度。ま、以前が0.7Mだったからいいけど。なぜが、ノートPCの無線LANカードが使用不能に。
2月27日 週末は、千葉の実家へ。正月も帰っていないしな。
3月3日 4500 本日通院日。訳あって電車で。
電車での通院は、4年前に入院したとき以来。車で30分のところが電車だと1.5時間。

 先月のマルクの結果がでてた。PCRの値は<50ということで、定量下限値以下。でも、検出はされているとのこと。ま、一安心。
3月5日  現存のVAIOノートがそろそろ寿命のようだ。バッテリはむろん、電源コネクタ接触不良、パット部分は無反応。キーボードもちょっと怪しい。5年も使ったし、入院中はかなり重宝した。ソニーにしてはなかなか堅牢だったと満足。
ということでオークションでIBMのノートPC(X21)を3.6万円で落札。ついでに、54Mの無線カードも2500円で落札。
3月13日 カミさんの友人夫婦に誘われてマンマミーアを見に、ハービスとかいう洒落た劇場へ。自分は断ろうと思っていたのだが。娘の分も合わせて6000円×3=18000円。観客は殆ど女性で自分は明らかに場違い。クライマックスは娘と二人で熟睡。自分は多分二度といかないな。
 
 携帯の電池の持ちが悪くなってきたので、下調べも何もなく気分でFOMAに変更。あまり通話しない自分としてはパケットが安いというのが変更の理由。説明書が分厚くてちょっと驚き。機能の1/100も使わずに終わるのだろうな。
4月16日 5月1日付けで千葉北西部に転勤。かれこれ大阪に来て10年。まさかこんな長く住むことになるとは思ってなかったが、5月異動はかなり寝耳に水。4月1日異動は想定していたのだが・・・。入園したばかりの幼稚園とか、娘がちょっとかわいそうかも。
 それから、折角引いたケイオプティコムの解約で、最低契約期間をさかのぼって6万円程度を請求され、自分も結構かわいそう・・・。
4月25日  JR福知山線で脱線事故。家に帰ってテレビ見てで知ったが、想像を絶する事態であった。鉄道システムの進んだ日本でこんな事故が起きるとは・・・。いったい原因は何なのか? 
4月28日 4500  H医大病院へ最後の通院。
 先日の事故でかなりのけが人が搬送されたと主治医が言ってた。本日はいつもと特に変わりなし。 

 転勤後にお世話になる病院だが、グリベックがもらえて血液内科があって、まともにマルクできるなら、家の近所であるに越したことはないので、JALSG会員である医者のいる近所の病院を探し、予め主治医にリクエストして紹介状をかいてもらっておいた。
 最後に、担当医と看護師さんたちにお礼の挨拶。5年間色々お世話になりました。

4月29日  本日引越し。朝8時半から積出しで、なんと10時過ぎには完了という速さ。荷物自体が少ないのもあるのだろうが、業者曰く荷造りがしっかりできていたからだそうだ。(自分は殆ど何もしてないが・・・)
 残念ながら、金魚は運んでもらえなかったので、PET容器に入れて一緒に新幹線で引越し。個人的には向こうで似たようなの買えば良いと思っていたがばれたら娘に発狂されそうだったので仕方なく・・・。
 夜はマイレージを使って銀座の日航ホテルに宿泊。家族慰労ということで、天亭という天ぷら屋で食事。
4月30日 朝7時過ぎにホテルを出て、習志野方面に向けて出発。8時過ぎに現地到着。引越し作業は滞りなく終了したが、折角のGWは手続きとか買い物とかで終わりそう。
5月5日  ディズニーランドが近くなることをえさに引越しを嫌がる娘を説得してたので、本日朝っぱらからTDLへ。自分としては12、3年ぶりかな。
 朝7時過ぎに家を出て、途中潮干狩りの渋滞に遭ったが、9時過ぎに何とか到着。免許のない自分は運転できないので、車のボンネットのど真ん中とリアウインドウに若葉マークを張ってカミさんが運転。MT車だし、カミさんの運転も相当まずかったが、若葉マークを張っていると、必要以上に煽られたり結構意地悪される。大阪ナンバーだからかな??

 GWにTDLはちょっとヤバイかもと心配だったが、アトラクションは空いていて、大概15分も待てばOKだった。
 娘は自分と同じくIt's a small worldが好きなようだったが、20時半に帰途につくまでに5回も乗らされ、かなりうんざり。
 USJと違って酒の販売がないのはかなりつらいところだが、酒飲んでたら体力・気力的に20時半までは持たなかっただろう。
5月12日 車の免許がやっと復活。大阪の免許センターから速達で届いた。我慢の3ヶ月だったな。現在、車通勤だからこれで人の車に便乗する必要がなくなった。新しい職場に来て今日で3日連続の歓迎会。本日はかなり迎え酒状態。
5月15日 日、月と福井へ。
6月3日  最近アロマテラピーに興味津々で精油を色々物色中。以前、仕事でも匂い関係の研究をしたことがあったが、臭いの刺激は、おふくろの味とか言われる味覚と同様に結構人間の記憶に訴えかけるものと思う。雨降りの直後にアスファルトから上ってくる臭気とか、友人の家や年寄りの家や木のの匂いとか、いつか嗅いだ幼いころの記憶にフィードバックさせられて思い出にふけるようなこともしばしばある。その匂いの正体は、多数の化学物質の混合物だから、人それぞれの思い出に起因する匂いを再現するのは困難だけど、うまくいったら商売になりそう。
6月24日 引っ越してから初めてこちらの病院に通院。大々的な改装中できれいに整備されるまでには少しかかりそうな感じ。採血の待合から推察するに、以前の病院の3〜4分の1程度の患者数。血液検査の結果はその日には出ないみたい。この病院を選んだのは自分。今の治療では通院の利便性が最重要だったので、近くで血液内科がある病院をチョイスして、以前の主治医に紹介状を書いてもらった。以前と同様IT化が進んでて、自分の診察順もリアルタイムでわかるシステムだった。
 主治医の第一印象は話がしやすそうで好印象。今まで4錠を1回/日だったのを、2錠/回×2回/日に変更。吐気の副作用にはそちらの方がかなり楽。でも、1日1回でも忘れるのに、飲み忘れが余計増えそうな気もするな・・・。高濃度維持が良い一般にいわれていたが、最近はそうでもないのだそうだ。で、3〜6ヶ月に一回やってたマルクも今後はやらないらしい。末梢血からの遺伝子検査でよいとのこと。本日、記念も含めその検査を実施。
 で、薬は処方箋をもって、好きな薬局で薬をもらうという体制。病院の近くの薬局に行ったが、グリベックの在庫が6日分しかなく、残りは郵送ということに。なんか、今後が心配・・・。
7月16日 autback.jpg (122850 バイト) 半月前、乗ってたアルテッツァの下取りを見積もったら、今年の11月に7年目の車検にもかかわらず、110万円の値がついた。で、即効売却。 千葉と東京のディーラに足を運び、うまく値引きが引出せた東京のディーラーで購入即決。あれよあれよという間にハンコ押した自分がちょっと信じられなかったが、ま、購入は正解だろう。車種は、スバルレガシィアウトバック2.5i。OPは、一度つけてみたかったサンルーフとアイボリーレザーシート。
 本日、晴れて新車の納車日。納車費用をケチったので、電車で葛西のディーラーまで娘と2人で。なかなかの猛暑のなか、葛西駅から娘を抱っこして、ヘトヘトになりながら10時半過ぎになんとか到着。一通りの説明を聞いた後、自宅まで娘とドライブ。エンジンは静か&スムーズでアルちゃんとは、大分違う。オーディオの組み甲斐があるというものだ。 しかーし、ニヤニヤしながら運転できたのは10km足らずで、渋滞中の国道357号線のららぽーと手前で、大変なハプニングが待ち受けていた。娘が大量のゲロを吐いた。いきなり、「ゲロはいちゃった」っていうから、助手席に座っている娘を見ると、既にセンターコンソールの隙間に吐いており、その後も噴水状態。納車直後だから、ティッシュもタオルも乗せてなかったので、しばらく成り行きに任せゲロまみれ。仕方なく噴出物は両手で受けて助手席足元のフロアカーペットへ流し、着ていたシャツを脱いで、運転しながらセンターコンソールを掃除。ハンドルは人差し指と親指でかろうじて操作。渋滞してたから良かったが、走行中だったら狼狽して事故ったかもな。家に帰って、シートを取っ払い、必死に拭き掃除。なんか泣けてきた。お〜い、待ちに待った新車が数分でゲロまみれかよ。
そういえば、今日は仏滅・・・。ディーラーで出してくれたオレンジジュースをうれしそうに飲み干したのが原因だな。吐き終わった後の娘の言葉。→「は〜、すっきりした〜〜。」
 新車の匂いは15分程で涙目の悪臭に取って代わっていた。
7月22日 通院日。
先日の抹消血による遺伝子検査の結果は、定量検査のはずが、手違いで定性検査となっており、来月定量検査をやり直すとのこと。マルクじゃないのでまあいいや。で、先月の定性検査の結果は陽性。まあ、そうなのだろう。で、定性なので議論はあまりできないね。
8月11〜14日  福島県の喜多方・会津方面にある桧原湖畔に3泊でオートキャンプ。11日夜明け前に出発し、国道4号を北上。途中ボーっとしてて道を間違えたが、朝8時半には喜多方市役所前に到着。市街地から桧原湖畔までは車で約30分程度。
 心配だったのは天気。案の定3日間ともずっと雨で、時々集中豪雨。テントの中に水が浸入して大変だったが、雨もなかなかオツなもの・・・??
  キャンプ以外にも喜多方ラーメンを食べることが今回の目的のひとつ。昼間にラーメン食べて、夜は七輪で何かを焼きながら星空をみて一杯呑むとう趣旨。星はちょっと無理だったが。

 喜多方市内に120件ほどあるラーメン屋から、到着初日朝は、市役所から歩いて5分程度で、朝7時半開店で味も有名な”まこと食堂”をチョイス。具はねぎとチャーシューとメンマで、余計なものは乗っかってない。チャーシューは脂が乗ってて、スープはあっさり。基本的に朝飯を食べない自分としては珍しく、朝からチャーシューメンと娘のラーメンの半分を食べた。もちろんスープも。想像以上に旨かった。
 2日目は、”上海”というラーメン屋。麺がやや太めでスープやチャーシューの味は結構しっかり目。まこと食堂と甲乙付け難い。お茶受けに漬物が出るのと、器やれんげが凝っててグッド。
 3日目は、さすがにラーメン以外のものを食べたくなって、土湯温泉という温泉へひとっ風呂浴びに行った帰りに猪苗代の山間にある日本蕎麦屋”おおほり”へ。昔ながらの民家の店構えで、畳敷きで囲炉裏や古いテレビ、家具がレトロ。ここの蕎麦は10割蕎麦。ざる蕎麦と山菜の天ぷらを注文したが、蕎麦は透き通った色が淡く透き通ってた。そばつゆがちょっとしょうゆっぽかったが、蕎麦自体は甘みがあり美味。
 4日目は、早朝からテント撤収作業。日が出てて助かった。最後の喜多方ラーメンは、有名な”ばんない食堂”と喜多方ラーメン発祥の店である”源来軒”とで迷ったが、結局源来軒へ。ばんない食堂は10時到着で既に店の外に10人ほどの行列。源来軒は満員状態だったがあまり待たずに座れる程度の混み具合。
 結局4日間で喜多方ラーメンを3杯食べたが、どれもかなり美味。強いてどれかひとつ挙げるなら、うまみ成分が豊富で毎日でも食べたいと感じた源来軒かも?
 キャンプはともかく大満足なラーメン食べ歩きだった。

8月19日 通院日。本日からグリベック4→3錠に減量。それと、抹消血による遺伝子の定量分析を実施。次回から通院は2ヶ月間隔。
10月1日  娘にとって幼稚園の初運動会.巷ではよく耳にしていたが,場所取りというのがこれほどすさまじいものとは思っても見なかった.
 8時半開門ということで,7時半過ぎに場所取りに到着.閑散としてるから「なんだ楽勝じゃん」と思いきや,観客席は既にことごとくシートで覆い尽くされていた・・・.みんな場所取りを終えて帰った後なのであった.隣のオヤジに聞くと,なんと5時には整理券で99番目だったんだそうだ.なんとか立ち入り禁止の砂場付近に小さなござを敷くも,まん前には脚立がたっており,座って観戦するのはあきらめモード.
 娘はペンギンダンスを間違えないようにやれるか前の日から緊張していたみたい.自分も一応親子競争で数年ぶりにかけっこしなければならなかったので,念には念を入れて準備体操とリポビタンD&Dで対応.
10月14日  2ヶ月ぶりの通院日.抹消血からの遺伝子定量検査の結果は定量下限値以下.まずは一安心.
今日から3ヶ月処方に変更してもらった.できればクレジットカードが使えるとベターだと,主治医に告げたら,投書箱があるから投書したほうがよいとアドバイス.名前と字体を変えてたくさんだしたらOKになるかもしれない.そうしたら,あっという間にマイレージがたまるかも・・・シメシメ.
11月7日  本田美奈子さんが急性骨髄性白血病(AML)で亡くなられたことをテレビで知った.心よりご冥福をお祈りします.今年の中旬にさい帯血移植し,無菌室から一般病棟に移った後,退院したと記憶していたが,再発とのことらしい.
 さい帯血移植は,ドナーの負担がなく,マッチさえすればすぐに移植準備に入れること,移植後のGVHDが比較的少ない等の利点がある一方,大人への移植の場合は量が少ないこと,移植後に体に根付いて血液を作り出すまでの期間が比較的長いために無菌室での感染症にかかる可能性が高くなる等の不利もあると聞く.
 最近は,芸能人にも白血病になる人が多く,「白血病」という単語をよく耳にするようになったと感じる.復帰をはたすケースが多い中,「移植すれば治るんでしょ?」とよく聞かれるのであるが,決してそうではない.誤解が多いようだ.AMLで,ドナーからの移植での5年生存率は50〜70%.仮に,生存できても,重いGVHDなどで元どおりにきれいさっぱり治るなんて稀有な確率.ジャンケンで負けたら命を落とすのとほぼ同じ確率と考えたら...相変わらず怖い病気である・・・.
12月9日  2ヶ月ぶりの通院日。と同時に娘のお遊戯会。病院で受付を済ませて、そのあと幼稚園へ。

現在、通院は2ヶ月おき、グリベックの処方は3ヶ月おきである。
、主治医曰く、どこかの科学誌にグリベックの展望が載ってたとのこと。情報元ははっきりしないが数理学的に、グリベック服用でCML完治の可能性はないとのこと。また、将来的に耐性となる可能性は10%程度ということが証明されたそうである。図書館でそれらしき雑誌を調べているが、未だに記事が見つからない・・・。
これがホントだとすると、グリベックを一生服用し続けるのは確定。ほかの要因で自分が生涯を終えるまでに、急性転化しないようにグリベックでごまかせればよいということか。

 

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